
広島で被爆死した米兵捕虜の調査を続け、今年3月に88歳で亡くなった歴史研究家の森重昭さん。「原爆の悲劇に国境はない」とのメッセージを二人三脚で発信してきた妻佳代子さん(84)は今、遺族捜しなど「残された宿題」に向き合う。「遺志を継ぎ、調査を続ける」と力を込める。
森さんの死去から2カ月半たった6月3日、佳代子さんは米国から来た被爆米兵遺族のロバート・タタロビッチさん(66)を広島市郊外の高台に案内した。この地に墜落して捕虜となり、被爆死した米軍機タロア号のジョセフ・ダビンスキー機長のおいに当たる人物だ。森さんは1999年、機長に関する調査結果を別の遺族に伝えており、タタロビッチさんは、おじの足跡をたどるため広島の地を初めて踏んだ。
この日は墜落を目撃し、調査に協力した窪田正義さん(94)も姿を見せ、現場で当時拾った機体の破片を手渡した。3人は記者会見に臨み、タタロビッチさんは「歴史の一部に触れた気がする。『憎しみではなく思いやり』という森さんのメッセージを次世代につなげていきたい」と目を潤ませた。佳代子さんは遺影を前に「本人がここにいたらどれだけ喜んでいたか」と声を詰まらせた。
「真実を遺族に知らせたい」一心で調査を根気強く続けた森さん。佳代子さんは7万円の国際電話代の請求書に驚いたこともあるが「調べだしたら周りが見えなくなる人。重昭がご遺族を放っておけないように、私はそんな重昭を放っておけなかった」と苦笑する。
「人のためになるなら」と協力してきた背景には、父の影響がある。佳代子さんは3歳の時、爆心地から約4.1キロの自宅で被爆。戦後広島市議を務めた父は、政府への陳情の際、自らのケロイドを見せて被爆者援護の充実を訴えるなど人のために尽くした。
父の死後、佳代子さんは森さんと出会い、結ばれた。今、二人の自宅には森さんの「めったに見せない笑顔」の遺影が置かれる。佳代子さんは調査の過程を記した森さんの著書を教科書として勉強し、現在は「宿題」の一つである、長崎で被爆したオランダ兵捕虜の研究に取り組む。「重昭だったらどうするかな」。分からないことがあると遺影の森さんと対話し、声を聞くようにしている。
森さんは2016年、当時の米大統領オバマ氏との抱擁で一躍有名になった。ただ佳代子さんは、「オバマ氏と抱擁をした人というだけで終わらせたくない」とも願う。人間同士、敵も味方もない―。二人で共有してきた思いを世界に広げ、「一人でも多くの人に被爆の惨状を知ってもらいたい」との考えを強めている。
【時事通信社】
〔写真説明〕森重昭さんの遺影を持つ佳代子さん(左)。右は被爆米兵遺族のタタロビッチさん=6月3日、広島市佐伯区
〔写真説明〕被爆米兵遺族のタタロビッチさん(左端)に米軍機タロア号の墜落現場を案内する森佳代子さん(左から2人目)、窪田正義さん(同3人目)=6月3日、広島市佐伯区
〔写真説明〕広島で被爆死した米兵捕虜に関して森重昭さんが残した資料=7月17日、広島市西区
〔写真説明〕森重昭さんの遺影を手にする妻の佳代子さん。分からないことがあると遺影の森さんと対話するようにしている=7月17日、広島市西区
2026年08月06日 07時05分