
最大震度7を観測した熊本地震で、多くの死者を出した日本製紙八代工場(熊本県八代市)とイオンモール熊本(同県嘉島町)で救助に当たった陸上自衛隊員2人が20日までに時事通信の取材に応じ、過酷な捜索活動を振り返った。
「一刻も早く助けなければ。どうかまだ生きていてほしい」。北熊本駐屯地(熊本市)にある西部方面特科連隊の広瀬優輝3尉(27)は、9人が死亡した同工場で6人の隊員と活動。多くの従業員がいた2階事務所に入ると、倒壊した煙突で天井が崩落し、コピー機や書類がコンクリートの下敷きになっていた。
机の配置や従業員がいた場所を消防などから聞き取り、崩れかけた天井を支柱で補強しながら、手作業でがれきを除去した。やがて、がれきの隙間から男性の体の一部が見えたが、呼び掛けに反応がない。折り重なったがれきの中から慎重に救助したが、息はなかったという。
余震で二次災害が起こる恐れがあり、危険と隣り合わせの活動だった。広瀬3尉は「1分でも早く助けたいと思っても、すぐには助け出せなかった」と悔やむ。部下の隊員らは、危険な現場に「ぜひ行かせてください」と次々に志願したといい、「その姿勢に支えられた」とも語った。
揺れの瞬間、北熊本駐屯地にいた第8師団第42即応機動連隊第1中隊長の樫沢龍太郎3佐(42)は「これはただごとではない」と出動を覚悟。県の要請を受けてイオンモール熊本へ先遣隊18人を派遣し、自身も現場入りした。消防は爆発現場を、警察は施設内部を中心にそれぞれ捜索し、樫沢3佐らは屋上や駐車場を担当した。
爆発現場は鉄骨や配管が複雑に絡み合い、捜索は困難を極めた。バックヤードを捜索するため、自衛隊は20トン級の油圧ショベルを投入。要救助者を巻き込まないよう、鉄骨などを慎重に持ち上げ、消防がその下を確認する作業を繰り返した。猛暑の中、防護装備を身に着けた隊員は熱中症にも警戒しながら活動した。
自衛隊や警察、消防は8月1日まで捜索を続け、要救助者が他にいないことを確認した。東日本大震災でも活動経験のある樫沢3佐は、警察や消防との連携の重要性を改めて感じたといい、「ニーズに合わない支援は逆効果。各組織が得意なことを生かし、足りない部分を補うことが大切だ」と強調した。
〔写真説明〕熊本地震で煙突が倒壊した日本製紙八代工場で救助活動を行う自衛隊員ら=熊本県八代市(陸上自衛隊提供)
〔写真説明〕熊本地震により煙突が倒れた日本製紙八代工場=熊本県八代市(陸上自衛隊提供)
〔写真説明〕時事通信の取材に応じ、作業時の様子を説明する陸自の広瀬優輝3尉=11日、熊本市の北熊本駐屯地
〔写真説明〕時事通信の取材に応じる陸自の樫沢龍太郎3佐=11日、熊本市の北熊本駐屯地
〔写真説明〕熊本地震発生後に爆発事故が起きたイオンモール熊本の内部=熊本県嘉島町(陸上自衛隊提供)
2026年08月20日 20時33分