旧社会党委員長として自民党、旧新党さきがけと連立政権を組んだ村山富市(むらやま・とみいち)元首相が17日午前11時28分、老衰のため大分市内の病院で死去した。101歳だった。
村山氏は1994年、少数与党でスタートした羽田内閣が2カ月で総辞職すると、55年体制下で激しく対立してきた自民党に加え、閣外協力に転じていた旧さきがけに担がれて同年6月、旧社会党出身としては終戦直後の片山哲内閣以来となる第81代首相に指名された。
首相に就任後、日米安全保障体制の堅持や自衛隊合憲を打ち出すなど党の基本政策を大きく転換した。95年8月には、戦後50年の首相談話(いわゆる村山談話)を発表。戦前や戦中のアジアでの日本の行動を「侵略」と明確に認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明した。被爆者援護法の制定など戦後の懸案解決にも努めた。
村山氏は24年大分市生まれ。大分県議などを経て72年の衆院選で旧大分1区から出馬し初当選。2000年の引退まで8回当選した。
【時事通信社】
〔写真説明〕村山富市さん
〔写真説明〕党首会談を前に握手する村山富市社会党委員長(中央左)と河野洋平自民党総裁(同右)(肩書はいずれも当時)=1994年6月、国会内
〔写真説明〕戦後50年に当たり、首相談話を発表する村山富市首相(肩書は当時)=1995年8月15日、首相官邸
2025年10月17日 14時25分