被災地農業、担い手確保課題=農地復旧は進展―東日本大震災



2011年3月の東日本大震災で津波被害を受けた農地は、福島県内を除いて復旧がほぼ完了し、農業の再開が進む。避難先にとどまり農業をやめる生産者が出る一方、被災農地の復興では法人による農業経営が増えた。しかし、復興は道半ばで、担い手の確保が急務となっている。

「立ち上がる勇気を持ってもらいたい」。震災当時、宮城県の気仙沼市や南三陸町などを管内としていた旧南三陸農業協同組合(現JA新みやぎ)の組合長だった高橋正さんは、いちご農家らの「もうダメだ」との言葉を耳にし奮起した。

耕作面積の4割が津波被害を受けた。ビニールハウスやトラクターは流され、農地はがれきで覆われた。気仙沼市は「気仙沼いちご」、南三陸町は「黄金郷」ブランドで知られる黄色い菊の産地だ。高橋さんは、いち早く再開した生産者の姿を見せることで「俺も」と思ってもらいたいと、いちごや花卉(かき)生産などのモデル地区を設定。生産組合の設立を支援した。

JAはビニールハウスなどの設備をリース方式で貸与して生産者の負担を軽減。研修も行い、組合を支えた。南三陸町復興組合「華」は、菊農家の及川誠司さんら若手が11年11月に設立。「黄金郷」の再建を誓い、塩水をかぶった土壌の改良に取り組み、年月をかけて徐々に出荷本数を増やしてきた。

当時設立した生産組合は今も続いているが、JA新みやぎは「全て順調とは言えず、働き手が足りず仕事が回っていない」(幹部)と指摘する。

いちご栽培が盛んな宮城県南東部の亘理郡でも「加速度的に人手不足が進行している」(JA全農みやぎ)という。被災農家の3分の1が戻らず、離農は震災前の想定より早い。

亘理郡山元町にある農業法人「やまもとファームみらい野」は、雇用促進や担い手育成を目指し、野菜やいちごで農業参入を志す30~40代の若手を受け入れている。これまでに同社で研修を受けて4人が独立した。ただ、いちご栽培など施設園芸での独立には初期投資も必要で、島田孝雄社長は「新規就農者の参入が難しい」と、公的支援の充実を訴えている。

【時事通信社】 〔写真説明〕取材に応じる旧南三陸農業協同組合の高橋正元組合長=2月23日、宮城県南三陸町 〔写真説明〕菊の手入れをする及川誠司さん=2月23日、宮城県南三陸町

2023年03月28日 15時41分


関連記事

政治・行政ニュース

社会・経済ニュース

スポーツニュース