「生きている間に報告したい」=94歳母、一日も早い解決願い―世田谷一家殺害25年



東京都世田谷区で宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件で、宮沢さんの母節子さん(94)は、毎日カレンダーの日付欄に斜線を引き、4人の写真に話し掛けながら解決を願ってきた。発生から25年。「私が生きてる間に、『やっとだよ』と報告したい」と、「その日」が来るのを待ちわびている。

事件前は週に2回、宮沢さん宅を訪れていた節子さん。「ちっちゃいおばあちゃん」と呼びながら、玄関先まで迎えに来た宮沢さんの長女にいなちゃん=同(8)=と、長男礼君=同(6)=の姿が忘れられない。料理は苦手だったが、夕飯を作ると喜んで食べてくれ、「2人と過ごす時間が楽しみだった」と目を細めた。

「一家全滅との知らせ。信じられないまま」。節子さんは事件発生後の混乱する中、日記にそう書き記した。現場となった宮沢さん宅は今もそのまま残されているが「見るだけで、行くだけで悲しくなってしまう」と言い、一度も立ち入っていないという。

朝と晩には、部屋に飾られた4人の写真にあいさつし、夜にはその日の出来事などを報告。「きょうもだめだった。残念」とカレンダーの日付欄に犯人が捕まらなかった印として斜線を引くのが日課となっている。

94歳となり、体調が優れない日も多くなった。発生日に訪れていた墓参りも「行きたいけど、人の手を借りないと行けなくなってしまった」といい、今年も自宅で過ごす予定だ。

1999年に名古屋市西区のアパートで主婦が殺害された事件が10月に解決したと聞いたときは「希望を持てるような気がした」と胸が高鳴った。それでもしばらくすると「だんだんと難しいような気もする」と思いは揺れるという。

「まだ(犯人が)見つからないのはどうしてだろうね。分かるなら教えてよ」。飾られた写真にそう問い掛けながら、一日も早い事件解決を願っている。

〔写真説明〕世田谷一家殺害事件から25年を前に、取材に応じる遺族の宮沢節子さん=12日、さいたま市

2025年12月30日 07時14分


関連記事

政治・行政ニュース

社会・経済ニュース

スポーツニュース