原発事故で休校、校歌響かせ10年=福島・富岡高元校長の青木淑子さん―東日本大震災15年



東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た福島県富岡町にたたずむ県立富岡高校は、事故から15年を経た今も休校が続く。同校の記憶を語り継ごうと、生徒の声が消えた校舎の前で卒業生らが校歌を斉唱する活動が昨年10月、10周年を迎えた。元校長で、活動を提案した青木淑子さん(78)は「ここが町にとって大切な場所だと伝え続けたい」と語る。

青木さんは2004年、富岡高に赴任した。校長として、普通科を廃止し、国際・スポーツ科を新設するという大幅な学科改編の責任者となった。一部で反対意見も出る中、県教育委員会との調整や同窓会、町民との話し合いの矢面に立った。「町の人に支えられ、改編をやり遂げたという思いがある。強い連帯感を感じた」と振り返る。

08年に同校校長を最後に教員を退職。しばらくして、原発事故が起きた。全町避難指示が出た富岡町は、当時、青木さんが暮らしていた福島県郡山市に行政機能を移し、多くの町民も避難してきた。避難所で教え子らと再会した青木さんは「不思議な縁を感じた」といい、被災した町民の支援に力を入れた。

校歌の集いを始める契機となったのは、同町の一時立ち入りが認められた15年8月。震災時の生徒らと共に校舎の片付けや私物回収のため、富岡高に足を踏み入れたときのことだ。そのうちの1人が校歌を口ずさむと、やがて歌の輪が広がった。歌声に心を打たれた青木さんは「無人の校舎に校歌を響かせ、学校は消えていないという思いを伝えたい」と決意。校歌を歌い続ける活動への協力を同窓会に呼び掛けた。

こうして毎月第3日曜日、校舎の前で校歌を斉唱し、近況報告を交わす活動が始まった。悪天候や新型コロナ禍でも休むことなく行われ、参加した卒業生や元職員は延べ1000人以上。原発事故で町を離れた元住民が足を運ぶことも増えた。

10年の節目を迎えた昨年、町は青木さんらをメンバーとし、同校の利活用に関する検討会を立ち上げた。まだ、協議は始まったばかりだが、青木さんは「元通りとはいかずとも、原発被害を乗り越えたこの町ならではの学びの場が戻って来るまで活動を続ける」と力を込める。

〔写真説明〕取材に応じる、休校となった富岡高の青木淑子元校長=2月15日、福島県富岡町 〔写真説明〕富岡高の校舎前で笑顔を見せる青木淑子元校長(右から2人目)=2月15日、福島県富岡町 〔写真説明〕富岡高の校舎前で校歌を歌う青木淑子元校長(右から2人目)ら有志=2月15日、福島県富岡町

2026年03月11日 14時31分


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