「英雄ではなく一人の人間」=「特攻の母」ひ孫、語り部に―等身大の姿を後世へ・鹿児島知覧



太平洋戦争末期、鹿児島県の知覧飛行場からは旧日本陸軍の特攻隊員が250キロの爆弾を積んだ戦闘機で出撃し、敵船艦に体当りした。あれから80年。「彼らは歴史上の英雄ではなく一人の人間だった」。隊員に慕われた「特攻の母」故鳥浜トメさんのひ孫拳大さん(33)は父の後を継ぎ、隊員の等身大の姿を語り続ける。

戦時中、同県知覧町(現南九州市)には旧陸軍の飛行場が置かれ、トメさんは軍指定の「富屋食堂」を切り盛りした。若き隊員から家族宛ての遺書を預かり、食べたい料理を私財を投じて用意し、母のように慕われた。

トメさんらの話を後世に残すため、拳大さんの父明久さん(2021年に60歳で死去)は01年、富屋食堂を復元した資料館を開いた。明久さんはトメさんと約30年間一緒に暮らして隊員の逸話などを引き継いでおり、資料館の館長も務めた。

一方、知覧町育ちの拳大さんは、岡山県の大学に進学したものの、同級生は「知覧の特攻隊」を知らなかった。トメさんらの話を聞いて育ったことから「特攻隊の話は消えていくのかも」とショックを受け、「いずれ資料館を引き継がなければ」と覚悟を決めた。

16年ごろ、明久さんが体調を崩し、館長の業務が難しくなった。閉館の話も持ち上がる中、広島県の自動車関連会社で働いていた拳大さんは使命感を胸に帰郷。21年7月には館長になった。

拳大さんはトメさんにほとんど会ったことはないが、明久さんから隊員の話を聞き涙する人を見て育った。小学校高学年ごろには明久さんから隊員の話をよく聞くようになり、一人一人のエピソードも覚えた。明久さんが体調を崩して以降は語り部となり、講演は1000回以上にわたる。

「特攻隊員は自分たちと同じ人間だ」。拳大さんが繰り返す言葉だ。「時がたつにつれ、歴史上の英雄とされるようになった。ただ、彼らも守りたい人がいて、悩み、苦しんだ末に命を懸けて出撃した」と強調する拳大さん。「トメの記憶をそのまま後世に伝える」ため、きょうも講演に臨む。

【時事通信社】 〔写真説明〕富屋食堂を復元した資料館の説明をする「特攻の母」鳥浜トメさんのひ孫の拳大さん=6月30日、鹿児島県南九州市 〔写真説明〕富屋食堂を復元した資料館の前で、「特攻の母」鳥浜トメさんの写真を持つひ孫の拳大さん=6月30日、鹿児島県南九州市

2025年08月14日 20時31分


関連記事

政治・行政ニュース

社会・経済ニュース

スポーツニュース