
イスラエル南部のキブツ(集団農場)ニルオズは2023年10月、パレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスによる奇襲攻撃で壊滅的な被害を受けた。2年以上たった今も住民は悲しみに打ちひしがれているが、現地ではイスラエルの苛烈な対ガザ軍事作戦を疑問視する声が聞かれた。
◇焼けた家で故人しのぶ
ニルオズは、ガザの境界から2キロほどしか離れていない。昨年12月、イスラエル政府の案内で現地を訪れた。住民のリタ・リフシッツさん(61)が取材に応じ、ハマスの攻撃でガザに連れ去られ、命を落とした義父のオデッドさん=当時(83)=について語った。リタさん自身は襲撃時にニルオズにおらず、難を逃れたという。
リタさんの説明によると、オデッドさんは長年平和活動に携わるジャーナリストだった。近年は、ガザの子供をイスラエル国内の病院に搬送するのを手伝うボランティアに参加。リタさんは、ハマスの放火により焼け焦げたオデッドさんの家の中で「彼はパレスチナの人々の真の友人だった」と静かに語った。
約400人が生活していたニルオズでは奇襲により、拉致された人も含めて70人が死亡した。220軒の家屋のうち、被害を免れたのは7軒のみ。多くは焼けて廃虚と化し、住民が集う食堂には銃弾が貫通した跡が残されていた。
◇キブツは「前線」
ニルオズの人々は、パレスチナで2000年に始まった第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)以前、ガザの人々との交流もあったが、07年にハマスがガザで実権を握るとニルオズは「前線」と化した。イスラエルの対ガザ軍事作戦が繰り返される中、ガザ側からロケット弾が飛来することもあった。
ガザ住民の大半は、1948年のイスラエル建国以降、故郷を追われてガザに移住した難民とその子孫だ。ハマスは80年代、人々の反イスラエル感情を背景に生まれた経緯がある。
◇「パレスチナと平和築ける」
ニルオズを取り囲む柵の先には、空爆で破壊され、灰色のがれきの山となったガザの様子が確認できた。奇襲攻撃後のイスラエル軍の大規模作戦によるガザ側の死者は7万人以上。昨年10月の停戦発効後も衝突が起きている。
イスラエル政府は「人質奪還が作戦の目的だ」と説明するが、リタさんは「人質の多くは軍の大規模攻撃ではなく、外交努力によって解放されたはずだ」と指摘した。
ガザ境界付近で暮らす以上、パレスチナ側との和平なくして平穏はあり得ない。リタさんは「パートナーはハマスではないが、パレスチナの人々と平和が築けると信じている」と語った。(ニルオズ=イスラエル=時事)。
【時事通信社】
〔写真説明〕イスラム組織ハマスの奇襲を受け、焼け焦げたオデッドさん宅=2025年12月、イスラエル南部ニルオズ
〔写真説明〕オデッドさん(右)宅を訪れたリタ・リフシッツさん=2023年、イスラエル南部ニルオズ(リタさん提供・時事)
〔写真説明〕パレスチナ自治区ガザに向けて建てられた柵の前に立つリタ・リフシッツさん=2025年12月、イスラエル南部ニルオズ
2026年01月18日 07時03分