
「アニメをやるために漫画家をやっている」。生前そう公言した手塚治虫はアニメの魅力を身をもって証明し、新しい時代を開いた。緻密に描かれた絵コンテや今にも動きだしそうな原画からは、生涯を通してアニメ制作に注いだ情熱が伝わる。現場では妥協を許さず、綱渡りの作業が続いたという。
幼少期からディズニー作品に影響を受けた手塚は、1962年にアニメスタジオ「虫プロダクション」を設立。「鉄腕アトム」(63年)の成功後に取り組んだのが、日本初のカラー連続アニメとなる「ジャングル大帝」(65年)だった。
オーケストラ演奏の音楽が流れる中でライオンのレオが躍動するアニメは、文部省(現文部科学省)とPTA全国協議会の推薦作品に。漫画は子どもに有害だとして、PTA団体などが50年代に繰り広げた悪書追放運動に苦しんだ手塚は「大成功だ」と語ったという。
手塚プロダクションでコンテンツ部参与を務める岡崎茂さん(64)の脳裏には、アニメに心血を注いだ手塚の姿が焼き付いている。「机にかじり付き、一心不乱に描き続けていました」。虫プロは資金繰りの悪化で73年に倒産するが、情熱は衰えなかった。
78年以降、日本テレビ系「24時間テレビ」で毎年放送され人気を集めた90分のスペシャルアニメでは、制作が終わらず放送中も作業を続けて、ぎりぎりで間に合わせたことも。その後、漫画連載の合間を縫って数年かけて原画を描き直し、改めて完成させたフィルムを納品したという。
「森の伝説PART―1」(88年)が予定通りに完成しないと伝えられ、ぶぜんとして帰宅した手塚は、翌日には全く別の絵コンテを一晩で仕上げて出社。スケジュールが厳しい中、新作の制作に喜々として取りかかった。岡崎さんは「スタッフは大変でしたが、先生は楽しそうに作業していました」と振り返る。
成人向けアニメ映画「千夜一夜物語」(69年)などのほか、晩年まで私財を投じて実験的な作品にも取り組み、表現の可能性を追求。「ジャンピング」(84年)などは海外でも高い評価を得た。手塚プロで資料管理を担当する飯渕宏美さん(27)は「実験アニメはメッセージ性に富み、今見ても発見がある。手塚先生が多くのアニメを手掛けたことを知ってほしい」と話している。
〔写真説明〕手塚治虫のアニメ資料を前に取材に応じる手塚プロダクションの岡崎茂さん(左)と飯渕宏美さん=5月22日、埼玉県新座市(C)手塚プロダクション
〔写真説明〕手塚治虫が手掛けた「大自然の魔獣
バギ」のキャラクターデザイン=5月22日、埼玉県新座市(C)手塚プロダクション
〔写真説明〕手塚治虫が手掛けた「銀河探査2100年
ボーダープラネット」の絵コンテ=5月22日、埼玉県新座市(C)手塚プロダクション
〔写真説明〕原画保管庫で見つかった手塚治虫が手掛けた絵コンテ=5月22日、埼玉県新座市(C)手塚プロダクション
2026年06月08日 07時09分