
【シドニー時事】オーストラリアで1975年11月11日、労働党政権を率いていたゴフ・ホイットラム首相が英女王代理人の総督によって罷免された異例の政変から50年が経過した。罷免の是非を巡っては歴史的に論争が続いており、アルバニージー現首相(労働党党首)は「計算された謀略」と非難した。
ホイットラム氏は72年の総選挙で労働党を勝利に導き、23年ぶりに政権を奪還。しかし、上院で過半数に満たず、75年に予算案成立を阻まれて政権運営が行き詰まった。ジョン・カー総督はホイットラム氏を罷免し、野党・保守連合のフレーザー自由党党首を暫定首相に任命。直後の解散・総選挙では保守連合が圧勝した。
総督による首相罷免は憲法上の規定に基づく。だが、総督の役割は議会で可決された法律の裁可など形式的なものという捉え方が一般的で、カー氏が実質的な統治に関与したことには異論もある。アルバニージー氏は10日、罷免50年の関連行事で「党派的な奇襲だった。正当性はない」と主張した。
豪メディアは「憲政の危機」とも呼ばれた罷免劇を見詰め直す特集を組んだ。豪国立博物館の歴史教材は「国民に選ばれた首相を非民選の総督が罷免する権限を持つべきではないという人もいれば、カー氏は事態打開へ正しい判断をしたという人もいる」と両論を併記している。
ホイットラム氏は在任中、中国との国交正常化やベトナム戦争からの撤退、白人以外の移民を制限した「白豪主義」の廃止などを達成。アルバニージー氏は功績をたたえ、銅像を国会近くに建立すると表明した。
【時事通信社】
〔写真説明〕オーストラリア首相を罷免されたゴフ・ホイットラム氏(中央左)=1975年11月、キャンベラ(豪国立公文書館提供・時事)
2025年11月11日 14時12分