
学会の主流から外れていた「免疫反応を抑える」研究に打ち込み、長年にわたる不遇の時代を送った末に、自己免疫疾患やがんの治療法に新たな可能性を開いた大阪大の坂口志文特任教授(74)。共同研究者や部下は「研究に対していちず」「弟子の成長を見守ってくれる」と口をそろえる。その研究成果は、今も同じ研究室で活動し、坂口さんが「同志」と呼ぶ妻で阪大招聘(しょうへい)教員の教子さんとの「二人三脚」でこつこつと積み上げてきたものだった。
免疫反応抑制に興味を持ったのは、京都大大学院生時代に愛知県がんセンターのグループが発表した、自己免疫疾患に関する論文がきっかけだった。「面白くない」と感じていた大学院を思い切って中退し、同センターの無給の研究生に転身。その後「研究を深めたい」との一心で米国の研究所を10年ほど渡り歩いた。
当時の免疫学の常識から外れた内容で、論文を酷評されたこともあったが、自身は「苦労した気はあまりしていない。誰が何と言おうと一つ一つ研究を積み重ねてきたという感覚だ」と振り返る。
教子さんとは同センター在籍時に知り合い結婚。渡米先では、ほぼ2人で研究を進めていたという。器用な教子さんが細かい実験を、坂口さんが主に動物実験を担い、共著論文も複数ある。
共同研究者の国立がん研究センター・西川博嘉腫瘍免疫研究分野長は、「制御性T細胞の研究にいちずだった。学生の学位論文の審査にも厳しく、科学に向き合う姿勢を常に問うていた」と指摘。同じ研究室に所属する京大医生物学研究所の川上竜司特定助教は「先生はよく『角を矯(た)めて牛を殺すようなことはするな』と話してくれる。教え子には細かく指示はせず、長い目で成長を見守るタイプだ」と明かす。
坂口さんと25年にわたる親交がある同研究所の河本宏所長は「自分から率先して話をすることはない坂口先生に代わり、教子先生が社交的な部分を担っている。2人で息を合わせて研究を進めていた」と振り返った。
【時事通信社】
〔写真説明〕旧東京都老人総合研究所在籍時の坂口志文さん(中央)と妻教子さん(左)=1998年ごろ撮影(名古屋市立大の山崎小百合教授提供)
2025年12月07日 19時01分