「盗まれた子供」進まぬ救済=東ティモール侵攻から半世紀―インドネシア



【ジャカルタ時事】1975年にインドネシアが東ティモールに侵攻してから12月で半世紀。占領下の東ティモールから兵士らに連れ去られた「盗まれた子供たち」が、今もインドネシアで暮らしている。インドネシア政府は被害者への賠償を行っておらず、救済は進んでいない。

◇部隊参加後に連れ去り

「初めは兵士たちと遊んでいるつもりだった」。東ティモール東部の村で生まれ、おじや兄と暮らしていたロベルト・ダ・シルバさん(52)=ジャカルタ在住。80年ごろにインドネシア兵から部隊への参加を促され、少年兵として荷物持ちや調理を担うようになった。

85年初め、家族も知らないうちにバリ島に連れて行かれた。当初は優しかった兵士は豹変(ひょうへん)し、銃を手に「言うことを聞かなければ撃つ。助けてくれる人はいないぞ」と脅してきた。身の危険を感じて逃げ、孤児院に受け入れてもらい高校まで進学した。

ジャカルタで働き始めた後、2010年ごろに家族との再会を支援する団体を知り、連絡が取れなくなっていた家族を捜し始めた。1年ほどかけて家族を見つけ、既に独立を果たしていた東ティモールで15年に対面。「うれしくて言葉にならなかった」。30年ぶりの再会をこう振り返る。

これまでインドネシア政府による救済策はほとんどなく、ジャカルタで麺料理の屋台を営み生計を立てている。インドネシア人の妻を連れて故郷を再訪したいが、経済的な余裕はない。

◇被害者4000人

連れ去りに遭った人々を支援するNGO「AJAR」によると、75年から東ティモール独立の是非を問う国民投票が行われた99年までの間の被害者数は少なくとも4000人に上るとみられる。ただ、これまでAJARが確認できたのは200人余りで、家族と会えたのは106人にとどまる。

再会が難航する背景には、軍の力が強いインドネシアで問題が表面化しづらかったことや、占領下の混乱の中で住民登録書類が消失したことがある。名前や宗教も変えられるケースも多く、AJARの担当者は、「被害者の多くは自身が東ティモール出身だと知らない」と話している。

インドネシア政府は、子供の連れ去りが組織的に行われたとは認めておらず、正式な謝罪はないまま。家族に会うための帰国に必要なパスポート取得や航空券の手配などでは便宜を図ったことがあるが、賠償はない。

プラボウォ大統領は東ティモールを占領したスハルト政権の軍幹部だった。11月には、故スハルト元大統領に「国家英雄」の称号を与えるなど、当時を再評価するような動きも出ている。匿名を条件に取材に応じた被害者の一人は「今の政権では救済は望めない」とこぼした。

【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに応じるロベルト・ダ・シルバさん=10日、ジャカルタ 〔写真説明〕東ティモールで撮影した家族らとの写真を見せるロベルト・ダ・シルバさん=10日、ジャカルタ

2025年12月28日 14時42分


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