
長野県軽井沢町で2016年1月、スキーバスが崖下に転落し、41人が死傷した事故は15日で発生から10年。「頑張り屋だった」という長女衣里さん=当時(19)=を亡くした池田彰さん(59)は「会いたい気持ちはあの日から変わっていない」と語る。
事故当日の朝、通勤電車の中で、バス転落を報じるニュースをスマートフォンで目にした。ほどなくして妻から「衣里が乗ったバスかもしれない」と電話が入った。慌てて電車を降りて東京都内の自宅に戻り、妻、息子と車で現地に向かった。道中、何度も衣里さんの携帯電話に掛けたが応答はなかった。
町役場に到着すると、身元確認のため、警察から衣類の写真を見せられた。衣里さんが着ていた服だった。数時間後、体育館のような場所に案内された。警察官が気遣うように「大丈夫ですね」と声を掛け、扉を開けると、ブルーシートが敷かれた床一面に犠牲者のひつぎが並んでいた。あまりの光景に「その場にしゃがみこんでしまった」。衣里さんの遺体が安置されたひつぎを恐る恐るのぞいた。目立った傷はなく、「眠っているような、きれいな顔だった」と振り返る。
中学、高校で部活に入り、大学進学後もサークルに所属するほどテニスが好きだったという衣里さん。中学時代、部活動が休みになり早く帰宅したものの、鍵を忘れて家に入れず、家族が帰るまで家の周りを何度もぐるぐると走っていたという。強豪校で周囲に上手な生徒がいたため、「うまくなりたい、負けたくないという気持ちがあったのでは」と語る。
事故後、池田さんの中で大きく変わったことがある。「人と会うのがつらくなった。娘と同じくらいの年齢の子を見るだけで涙が止まらなくなるときもあった」。あれから10年。「短かった。一度も会えないまま過ぎてしまったから」
業務上過失致死傷罪に問われたバス運行会社の社長らは、今も続く控訴審で、無罪を主張する。池田さんは、社長らが反省しているように見えないといい、「いつまで残された家族を苦しめるのか」とやりきれなさをにじませる。
「同じ被害を繰り返してほしくない」。亡き娘への「会いたい」という思いとともに、事故が教訓として社会に残ることを願い続けている。
〔写真説明〕取材に応じる軽井沢バス事故遺族の池田彰さん=2025年12月、東京・銀座
2026年01月15日 07時05分