
「菊池事件」を巡っては、高市早苗首相が昨年の参院予算委員会で「尊厳を傷つけ、筆舌に尽くしがたい苦しみを与えてしまった」と謝罪した。背景には、国が患者を療養所に強制隔離する政策を推進したことで、差別や偏見を助長した歴史がある。
政府は1907年、療養の方法がなく屋外で生活しているハンセン病患者を療養所に隔離する法律「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定。31年の法改正で全ての患者が強制隔離の対象となり、断種手術や中絶を強いられるなどの人権侵害を受けた。隔離政策は53年改正の「らい予防法」が廃止された96年まで続いた。
熊本地裁は2001年、隔離政策を違憲とする判決を言い渡し確定。小泉純一郎首相(当時)は「政府として深く反省し、率直におわびを申し上げる」との談話を発表し、国会も衆参両院で謝罪決議を採択した。
元患者らの家族が起こした集団訴訟では、熊本地裁が19年、隔離政策により「患者家族への排除意識が形成された」として国に賠償を命令。当時の安倍晋三首相は控訴を断念し、談話で「政府として改めて深く反省し、心からおわび申し上げる」と陳謝した。
隔離政策の影響は司法にも及んだ。最高裁は14年、元患者団体からの要請で、特別法廷の正当性の検証を開始。16年公表の報告書では、違憲との断定は避けたものの、「一般社会における偏見、差別を助長するものだった」と謝罪した。
「一人の人間として、憲法違反の死刑判決を放置できない」。20年、菊池事件への思いを共にする約1200人が請求人となり、再審請求書を熊本地裁に提出した。男性の遺族は根強い差別や偏見を危惧し、再審請求できずにいたが、支援の広がりに後押しされ、21年に請求していた。
〔写真説明〕1950年ごろに撮影されたとされるハンセン病療養所「菊池恵楓園」内に設置された特別法廷(菊池事件とは無関係の別事件)(国立療養所菊池恵楓園歴史資料館提供)
2026年01月29日 07時07分