
自衛隊に入隊すると必ず宣誓する言葉がある。「危険を顧みず、身を持って責務の完遂に務め、国民の負託に応える」。東日本大震災による東京電力福島第1原発3号機の水素爆発に巻き込まれ、負傷した隊員2人が11日までに時事通信の取材に応じ、「いざ本当に危険な状況になった時、誓いの言葉が一層胸に響く」と当時の心境を語った。
2人は、陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の化学科部隊「中央特殊武器防護隊」に所属する濱本詳丈3等陸佐(44)と岩野誠2等陸曹(45)。幹部候補生だった濱本3佐は2011年3月12日、同1号機が水素爆発したとのニュースに「命の危険もある任務になる」と直感した。
ただ、現地入り後は「覚悟が決まり淡々としていた」。岩野2曹も「多少怖かったが自分たちが行くしかないという気持ちだった」と振り返る。
同14日午前11時1分。2人を含む同隊の計6人が乗った水タンク車3台が、電源喪失で冷却できなくなった原子炉への注水作業のため3号機の敷地に入った時だった。「花火が上がったような『ボンッ』という音」(岩野2曹)が聞こえた直後、爆発で吹き飛ばされた建屋のがれきが車列を襲った。
「丸まってろっ!」。砂ぼこりで視界が遮られる中、運転席から降りようとした部下をとっさに座席の下に押し込んだ濱本3佐だったが、車両の布地の天井を突き破ったコンクリート片が自らの右膝を直撃。幸い打撲で済んだが、別車両の岩野2曹は窓から飛び込んできたがれきが当たり、脇腹骨折で1カ月の大けがをするなど6人中4人が負傷した。
何が起こったのか分からず、現場にいた東電社員らを救助しつつ戻った福島県大熊町のオフサイトセンターで水素爆発だったと知った。被ばく量を知らせる計器は基準値以下だったものの、激しい頭痛があり不安が募った。濱本3佐は「事前に服用した(内部被ばくを防ぐ)安定ヨウ素剤の影響だと後で分かったんですけどね」と笑う。
治療のため一度は福島から離れたが「何もできていない」と現場に戻った2人。その後は行方不明者の捜索や除染所運営などに当たったという。
「本当に危険な任務を経験したからこそ、あの宣誓の重みが分かる」と岩野2曹は語る。濱本3佐も「大震災を知らない若い隊員に、現場での経験をどう伝えていくかが課題だ」と話した。
〔写真説明〕東京電力福島第1原発3号機で発生した水素爆発を振り返る濱本詳丈3等陸佐(左)と岩野誠2等陸曹=4日、さいたま市
〔写真説明〕自衛隊車両を前に、東日本大震災を振り返る濱本詳丈3等陸佐=4日、さいたま市
2026年03月12日 07時10分