ノーベル生理学・医学賞に決まった大阪大の坂口志文特任教授(74)が研究者を志した背景には、高校在学時に校長を務めた父正司さんの勧めもあった。「父があの世から執念で取らせたと思う」。坂口さんの兄で元高校教諭の偉作さん(76)は受賞決定後、両親の墓前に待ちわびた吉報を報告した。
偉作さんによると、正司さんは京都帝国大(当時)で哲学者の九鬼周造に師事。哲学の研究者を志したが旧陸軍に召集され、日中戦争や太平洋戦争では語学力を生かしてインドネシアなどに赴任した。
ベトナム・サイゴン(現ホーチミン)で敗戦処理に携わり、1947年ごろに帰国。食糧難の中で家族を養うため、大学での研究職を諦めて地元・滋賀県で高校教諭となり、県立長浜北高では志文さんの在学中に校長を務めた。
家では3人の息子に「技術者になれば食べていける」と理系への進学を強く勧めたという。長年戦地で暮らした経験から「万が一戦争になっても、理系なら徴兵の順番が最後になるという(親心)もあったと思う」と偉作さんは推し量る。
同校から浪人を経て京都大医学部に進んだ志文さんが同大学院を中退し、愛知県がんセンター研究生に転身した77年、正司さんは亡くなった。息子の案内で同センターを見学した直後だった。
一方、昨年1月に104歳で亡くなった母淑子さんも、有力候補として志文さんの名前が挙がるようになってからは毎年、息子の受賞を心待ちにしていたという。偉作さんは「1年ちょっと足りなかったのは誠に残念だが、母もあの世で喜んでいる」と話す。
研究成果を理解されない不遇の時代が続いても、粘り強く研究と向き合った志文さんの姿勢について、「父親からそのまま受け継いだ」という偉作さん。「父は戦争で研究の道を諦めたが、息子のノーベル賞受賞によって夢をかなえることができたと思う」と喜んだ。
【時事通信社】
〔写真説明〕坂口志文さんのノーベル賞受賞決定を受けて、取材に応じる兄偉作さん。写真は父正司さん=8日午前、滋賀県長浜市
2025年10月18日 14時31分