無数の人体標本は、今も脳裏に焼き付く。戦時中、旧満州(中国東北部)で細菌兵器開発や人体実験を行った旧日本陸軍の関東軍防疫給水部(731部隊)。元少年隊員の清水英男さん(95)は「やってはいけないことを平気でやる。それが戦争の狂気だ」と話し、風化防止へ証言を続ける。
長野県宮田村の清水さんは1945年3月、地元の国民学校高等科を卒業。教師の推薦を受け4月に14歳で「見習い技術員」として旧満州のハルビンに渡った。「731部隊との説明はなく、『技術員』なのでもの作りの仕事だと思った」
入隊後の約10日間は軍人勅諭を覚えるなどして過ごした。その後「実習室」に配属され、白衣の上官らに囲まれた。目的を知らないまま菌を寒天で培養し、病原菌の基礎知識を詰め込まれた。
7月ごろ、部隊の本部2階の「標本室」に入った。心臓、肺、脳、体内に胎児が見える女性。部屋には、人体実験のための外国人捕虜「マルタ」の標本瓶が無数にあったという。
「しっかり見ろ」。上官に言われ、ホルマリンの臭いで目が痛む中、涙を流しながら見た。標本室に入ったのは一回だが「見たものは今も頭の中にある。忘れようと思っても忘れられない」。
8月9日、旧ソ連が旧満州に侵攻。11日には本部から煙が上った。撤退を控え特設監獄にいた捕虜の遺体を焼いたとみられる。翌日、焼却後の骨拾いを命じられた。「嫌だったが仕方なくやった。骨は重かった」と振り返る。
終了後は同僚と監獄に爆弾を設置した。部屋の壁には指による血文字で中国語やロシア語が書かれていた。証拠隠滅のため、部屋は爆破された。
14日朝、上官から自決用の拳銃と青酸化合物を手渡された。拳銃はトランクに隠し、青酸化合物は二重に履いた靴下の間に入れた。夕方から列車で移動を始め、15日には新京(現長春)手前で終戦を知った。翌日に着いた奉天(現瀋陽)では先輩から帰国を告げられ、安堵(あんど)した。拳銃と青酸化合物は釜山から日本に帰る船上で投げ捨てた。
清水さんは帰国の際、「731部隊の軍歴を隠す」「公職に就かない」「隊員相互の連絡を取らない」ことを命じられた。病院関係の仕事も禁じられたため、帰国後は建築士の資格を取って事務所を開いた。731部隊による人体実験や生体解剖などは、部隊関連の書籍を読んで初めて知った。
「戦争が続いていれば自分も生体解剖をさせられていたかも」と話す清水さん。現在は地元の中学校を中心に経験を語り続ける。インターネットでは証言への中傷も見られるが「731部隊のような人の道を外れたことが再び起きたら大変だ。体が動く限り証言を続けたい」と力を込める。
【時事通信社】
〔写真説明〕旧日本陸軍の関東軍防疫給水部(731部隊)について説明する元少年隊員の清水英男さん=4月21日、長野県宮田村
2025年08月13日 07時07分