「終戦、あと1日早ければ」=日本最後の空襲語り継ぐ―250人犠牲・秋田市土崎



終戦前夜に秋田市土崎地区が爆撃された土崎空襲は「日本最後の空襲」の一つに数えられる。「あと1日終戦が早ければ」。語り部として20年以上自身の体験を伝えている伊藤津紀子さん(84)=同市=が、強烈な印象を残した4歳当時の記憶を振り返った。

土崎空襲は8月14日午後10時半ごろから約4時間にわたり、米軍の爆撃機など約130機が土崎地区上空に来襲。本土有数の規模だった旧日本石油秋田製油所が標的にされ、推定で250人以上が犠牲になったとされる。

爆撃が始まり伊藤さんが外に出ると、製油所は激しく燃え上がり、夜空がオレンジ色に染まっていた。一家はすぐに、自宅近くに備えた家族用の防空壕(ごう)に逃げ込んだ。

「ここにいては死んでしまうから駄目だ」。祖母の一声で、避難場所を高台に変更した。この判断が生死を分けた。油の焼ける独特な臭いが立ち込め、「ゴーッ」と上空で旋回する爆撃機の重い音が響く中、住宅や木々に隠れながら必死に走った。

爆撃が収まった翌朝、自宅に戻ると、家屋は2発の爆弾で粉々になり、最初に避難した防空壕はがれきの山に埋もれていた。隣家の夫婦は、逃げ込んだ自宅脇の防空壕の中で息絶えていた。

戦後は金融機関で働きながら、結婚や子育てで忙しい日々を過ごした。退職後、追悼式典に参加するなど空襲と本格的に向き合い始めた。「近所で亡くなった人がたくさんいるのに、黙っていられない」と、空襲の記憶継承に取り組む市民団体に入り、語り部となった。

「戦争があと1日早く終わっていれば、隣の夫婦は亡くならずに済んだ。赤ちゃんから老人まで、多くの命が失われたことを子どもたちにも伝えたい」。市内の小学校から始めた語り部活動は市外にも広がり、大学生が体験を聞きに来るようにもなった。

しかし、近年は土崎空襲そのものを知らない教員が増え、子どもが関心を持つ機会が減っていると危機感を覚えている。「世界でいろいろな争いが起きている中、空襲を学ぶことは大切だ」と訴える。

体験者自身が語ることに意味があると強調する伊藤さん。肌で感じてもらおうと、実際に投下された爆弾の破片に触れてもらいながら小学生らに語っている。空襲体験の証言から作られた絵本の朗読に、吹奏楽の演奏を合わせるなどの工夫も凝らす。「まだもう少しやれる。体が許す限り続けたい」。

【時事通信社】 〔写真説明〕土崎空襲の体験を語る伊藤津紀子さん=7月15日、秋田市 〔写真説明〕土崎空襲で投下された爆弾の破片=7月15日、秋田市

2025年08月14日 12時13分


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