チャンドラ・ボース没後80年、進む再評価=独立運動英雄、遺骨は日本に―インド



【ニューデリー時事】インド独立運動の英雄スバス・チャンドラ・ボースが亡くなってから18日で80年がたった。英国支配に非暴力で対抗した「建国の父」マハトマ・ガンジーとは対照的に、武力による独立を目指した。近年再評価が進むが、遺骨は縁のあった日本に眠ったままだ。

◇中心部に像建立

首都ニューデリーの観光名所インド門のそばに軍服姿で敬礼するボースの像がある。英領インド時代に整備された中心部一帯の再開発に伴い、2022年に建立された。

14年に発足したモディ首相率いるインド人民党(BJP)政権は、「奴隷の時代」と呼ぶ植民地だった頃の法制度を含む旧弊払拭に力を入れてきた。そうした中、再び脚光を浴びたのが「ネタジ(指導者)」の愛称で呼ばれるボースだった。

モディ氏は像の除幕に合わせた演説で「インドが独立後にボースの示した道をたどっていれば、新たな高みに達していただろう」と述べ、1947年の独立を見届けず世を去った指導者を惜しんだ。モディ政権はボースゆかりの島にその名を冠し、首都に博物館も整備した。ボースは現在の最大野党、国民会議派を率いたガンジーと確執があり、再評価には政治的な背景もある。

ヒンズー至上主義団体を支持母体とするBJPはイスラム教徒など宗教的少数派への弾圧が指摘されている。ボースを大叔父に持つ米ハーバード大のスガタ・ボース教授(歴史学)は顕彰の動きを歓迎しつつ、ボースが宗教間の平等を信じ、多数派のヒンズー教徒以外の信頼も勝ち取ったと指摘。「ネタジならモディ氏やその仲間が推進するヒンズー至上主義に断固反対していただろう」と語る。

◇遺骨返還は政治問題

ボースは日本の力を借りてインドから英国を追い出そうと考えたが、失敗。日本の敗戦から3日後、ソ連を目指して台湾で搭乗した日本軍機が墜落し、48年の生涯に幕を閉じた。

遺骨は日本に運ばれ、80年たった今も東京の蓮光寺に安置されている。親族を中心に母国への返還を求める声がたびたび上がったが、実現していない。独立後長く政権を担った国民会議派にとり、ガンジーと対立したボースは扱いが難しい存在だった。返還は政治問題をはらむだけに、スガタ氏は「日印両政府による最高レベルの合意が必要」と話す。

現政権も返還に向けた具体的な動きは見せていない。同氏は、ボースの生存説と「遺骨は偽物」という主張がインドの一部でくすぶり続けたことも関係しているかもしれないと指摘。「いつか最高の栄誉をもって持ち帰られることを望んでいるが、近く実現する見込みはないだろう」と述べた。

【時事通信社】 〔写真説明〕インド独立運動の英雄スバス・チャンドラ・ボースの記念館に掲げられたボースの写真=7日、東部コルカタ 〔写真説明〕ニューデリー中心部に立つインド独立運動の英雄スバス・チャンドラ・ボースの像=16日 〔写真説明〕インド東部コルカタにあるスバス・チャンドラ・ボースの記念館で取材に応じる米ハーバード大のスガタ・ボース教授=7日

2025年08月18日 14時35分


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