太平洋戦争末期、米軍のB29爆撃機により市街地の99.5%が焼失した富山大空襲から2日で80年となった。証言者が年々減る中、「あの日」の惨禍を3世代で語り継ぐ家族がいる。空襲経験者の孫で高校2年の西田七虹さん(17)は「私が話さないことで、悲劇がなかったことになる」との使命感から語り部になった。
富山市によると、2日未明の空襲では市中心部に50万発以上の焼夷(しょうい)弾が投下され、焦土と化した街では2700人超が犠牲になった。当時10歳の佐藤進さん(90)=同市=は「周囲が炎に包まれた。生き残ったことが奇跡だ」と振り返る。
佐藤さんは2001年、体験を後世へ引き継ぐため、市民団体「富山大空襲を語り継ぐ会」に入会。県内の小中学校などで講演し、延べ2万人に悲劇を語ってきた。
ただ、佐藤さんは19年ごろ、入退院を繰り返すようになった。この頃、語り部の減少も顕著になっており、活動を近くで見守ってきた次女の西田亜希代さん(55)は記憶の継承に危機感を抱いた。
22年2月にはロシアがウクライナに侵攻した。「ニュースの映像と父から聞いた空襲の話が重なり、黙っていられなくなった」。長女の七虹さんを誘い、23年からは佐藤さんの活動を2人で引き継いだ。
七虹さんは活動の際、自分を含めた若い世代に悲劇がどうやったら伝わるかを考えている。同じ思いを持つ県内の高校生と連携して企画を進めており、その一つが、昨年実施した子ども食堂での平和講座だ。
講座では、サツマイモのつるのきんぴらや豆でかさ増ししたご飯など、戦時中によく食べられた料理を作り、参加者に提供した。食事を通じ、戦争を自分の事として感じてもらうのが狙いだ。七虹さんは「人々がどのように苦しんできたかを知るのが重要だ」と訴える。
最近では3世代で講演に呼ばれることも多い。七虹さんは「体験者の代わりにはなれないが、経験を伝えることはできる」と力を込める。佐藤さんは「自らの意志でやってくれるのがうれしい。自慢の孫と娘だ」と目を細めた。
【時事通信社】
〔写真説明〕3世代にわたり富山大空襲の記憶を語り部として伝える佐藤進さん(中央)、西田亜希代さん(左)と西田七虹さん=7月13日、富山市
2025年08月03日 07時14分