愛情あふれる夫、明るく優しい長女、かわいい長男を失い、独りぼっちになったあの航空機事故から40年。凍り付いた感性は、次第に温かさを取り戻していった。「これから先、たくさん笑える日があれば」。そう願っている。
滋賀県湖南市の書家、猪飼宜妙さん(74)は、520人が犠牲になった1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故で、愛する3人の家族を亡くした。夫の善彦さん=当時(37)=は、2年前に同県内で念願の書店を開業したばかり。小学4年の小夜さん=同(9)=は、エレクトーンを買ってもらうために夏休みの新聞配達に挑戦し、小2だった潤くん=同(7)=は早起きして姉を手伝っていた。
あの日、書店で働いている最中、おばからの電話で事故を知った。駅前にあった夫の車まで急いだが、車は止められたまま。だんだん怖くなり、動けなくなった。
書店を開業してから、なかなか子どもとの時間が取れなくなった善彦さんを気遣い、「3人で行ってきなよ」と送り出した旅行だった。行きは新幹線だったが、過去の旅行でコックピットを見学させてもらい、ジャンボは安全との思いがあった。「帰りも新幹線に乗っていれば…」
事故からしばらくたった後、壊れた夫のカメラのフィルムから現像したという写真が群馬県警から送られてきた。東京ディズニーランドで楽しむ姉弟の笑顔が、奇跡的に残されていた。
葬儀を終えてすぐ、夫が残した書店に立った。「私にとって仕事が生命維持装置だった」。悲しみを忘れるように必死に働いたが、40歳のときに体調を崩した。入院先で天井を見上げ、「店をやめよう」と決めた。それから1年がかりで店を閉じ、夫の地元から離れ、新天地での生活を始めた。
事故後、幼少期から習っていた書道に、真剣に取り組むようになった。自分と向き合い、思いを筆に乗せる。書道パフォーマンスにも挑戦し、書家としてのキャリアを積み上げてきた。
今年、墜落事故の遺族でつくる「8.12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん(78)に依頼され、遺族の手記集「茜雲
そのあとに」の題字を久しぶりにつづった。「あのとき、飛行機から茜雲が見えたかな」と思いながら。
【時事通信社】
〔写真説明〕日航ジャンボ機墜落事故遺族の手記集「茜雲」を手にする書家の猪飼宜妙さん。題字を担当した=7月17日午後、滋賀県湖南市
〔写真説明〕日航ジャンボ機墜落事故当日に東京ディズニーランドで撮影された写真。事故で壊れたカメラから復元された(猪飼宜妙さん提供)
〔写真説明〕日航ジャンボ機墜落事故当日に東京ディズニーランドで撮影された写真(猪飼宜妙さん提供)
2025年08月03日 07時15分